1978-11-28 第85回国会 参議院 文教委員会 閉会後第1号
○説明員(佐野文一郎君) 六月七日に、柴田学長に対しまして政経学部の教授会の正常化等六項目について改善方を要望いたしたわけでございます。
○説明員(佐野文一郎君) 六月七日に、柴田学長に対しまして政経学部の教授会の正常化等六項目について改善方を要望いたしたわけでございます。
○小巻敏雄君 いずれ本委員会においても、四十八年のときのように、関係者——柴田学長であるか、あるいは安高理事であるか、御出席をいただいて、そうして事情聴取もしなければならぬと思っておるのでありますが、その点は十分に期待にこたえて、文部省の方でも事情聴取をしていただきたいと思います。
○政府委員(佐野文一郎君) 柴田学長に対して、政経学部の教授会の正常化ということについて、大学側から大西教授会の側に対して話し合いを求め、協議を経て、教授会を一本化する努力をしなければいけないと、そういう方向でのできるだけの御努力を願いたいということを要請をいたしております。
○木田政府委員 ことしの五月ごろから国士館大学生によります暴行傷害事件というのがいろんな方面で起こっているということで注目をいたしておりましたところ、いま御指摘がございましたように六月の十一日、十二日にかなり大きな乱闘が起こりまして、私どもも直ちに国士舘大学の柴田学長を六月十四日に招致をいたしまして、いろいろな事情の聴取と今後の善処方を求めた次第でございます。
○宮之原貞光君 新聞報道を見ますと、この問題について、何かいまの柴田学長は、これはこう書いておるですよね。高校教師を解雇したが、これに対して裁判所は解雇無効言い渡している。先生は学校にはいま来ていますかと、復職はしていないがお金は差し上げている、それ以外の点についてはいま話し合っておると。
第一になぐったところの柴田学長、なぐられた佐藤教授、これは二人はきまっておりますね。あとの人たちは学生監というような事務とかそういうものをやっておる方々、そうしてこの人たちか――刑事局長、御想像できないでしょう。ちゃんと学長のところへ行って、きょうは呼ばれましたが、どういう返事をいたしましょうかといって、打ち会わせをしてきている。
それで、実は私ども、この柴田学長の教育的な行動そのものについては昨年来いろいろと判断をしてまいりました。材料を出してまいりました。学校設立の定款等についても分析をして考えてまいったわけです。
○二宮委員 柴田学長について最終的ならく印を押すというようなことの判断を文部省に求めることは私は遠慮いたしますけれども、少なくともその行動については、私どもとしては正常なものだとは考えられないような行動がたくさんあるわけです。
これは、私は昨年来いろいろと質問をしてまいりまして、さきの国会で、終末のころがああいうかっこうになりましたために、締めくくりの質問もできずにそのままになっておったわけですが、三十九年の十月二日に国士舘の学長が教授をなぐった、こういう事件がございまして、これに刑事問題として送検をされたわけですが、その送検の結果、柴田学長については起訴猶予という処分が決定をしたそうでございます。
私もその大臣のお考えに賛成なんでありますが、そういう問題があろうと、少しぐらいの問題は学内で解決すべき問題でありますから、そのお答えに私も敬意を表するわけなんですが、ところが、まずこの柴田学長の学生に対する訓示の中にこういう文句がある。
○政府委員(天城勲君) 率直に言って、どういうふうにお答えしていいのか私も迷うのでございますけれども、柴田学長の何と申しますか、いままでの国士館をずっと経営してき、また教育をやってこられた長い経歴あるいは実績の中で、素直に言っていろいろな評価のある方だということは私も伺っておりますし、直接お目にかかっていろいろお話したこともないのでわかりませんけれども、まあそういうふうに伺っておるわけであります。
いま柴田学長の意見の一端につきまして言われたことに対する私の批判も、私の意見ということも、そういう前提の中で考えていくべきことじゃないかと基本的には思っておりまして、これもたいへん立場上、そういう御意見に対していますぐ意見を述べろということに対して、私も申し上げにくい立場にあることを御了承いただきたいと思います。
いまの柴田学長やあるいは徳富、頭山その他の先生の御好意によりまして、私が昭和十四年の十月に共産地区でいわゆる産業技術の指導というのを行ないまして、非常に喜ばれまして、そこの援助をした人は、たしかここに田村さんという議員がおいでになるそうでございますが、そのおとうさんあたりに、たいへん力を入れていただきまして、それで田村先生のおとうさんは向こうからたくさんの技術家を連れてきて、日本へ御案内になり、それらの
「柴田学長は大学を私有物だと思っている。ちょうど昔の大名あるいは君主が土地も住民もすべてわがものと思うのと同じようなものです。」こうずっと書いてあります。そこで、教授会のことにつき、「私は大学の短大当時は教授会に出ました。
柴田学長のやっていることは、教育的な立場から見てこれでいいかどうかということを聞くわけですから、杉江さんひとつお答えしてください。 ここに二冊の本がございます。一つは「革命は如何にして起るか」というものです。もう一冊は「日本はこうすれば立直る」という本です。この本は生徒と保護者が強制的というか義務的に買わされているということを御存じですか。まずそこからお聞きしてまいりたい。
○三木(喜)委員 ただいま二宮委員から質疑がありましたように、今回問題になっておる国士舘大学の教育は柴田学長という特異な存在によって大きくひん曲げられておりまして、教育という名に値するかどうか疑問の点が多いので、私はその立場に立って質問したいと思います。 きょうまで私は国士舘大学の問題について三回文教委員会で取り上げておりますが、時間がなかったり、調査中ということで満足な答えを得ておりません。
そういう過程は私にはわかっておりますが、私自身あるいは大臣がそういう意味で柴田学長と懇談をしたということはございません。
その中に柴田学長の政治信念というものがいろいろと書き出されております。自民党の皆さん方もずいぶん悪くいわれておりますし、あるいは革新的な政党は赤毛虫とか、あるいはソ連は赤鬼でありアメリカは青い鬼であるというような表現でいろいろ書かれておるのでございますが、こういうものが学校内にあって運用されておるというこの事実については、これは教育基本法第八条違反であるというふうに私は考えます。
私は昨年の愛知さんのやり方は正しかったと思うのですけれど、とにかくもそれだけの人を顧問にかかえていて、言うことが、私どもから見れば、今日の憲法も、あるいは政治の方向もまるで違ったようなことをやっているというのが、この柴田学長という人なんです。
その二月十一日に、柴田学長は早稲田大学出身で国士館大学の教授、助教授になっている人々を集めて、早稲田ではいま赤が横暴をきわめている。早稲田の赤学生を片づけなければならないと発言したそうであります。こんな学長ですから、学生が真に受けたら片づけるということがどういう事態になるのか、およそ想像がつくでしょう。
したがいまして、私どもたくさんございます大学の中の教育、それが政治的にどうであるかというようなことを常に監視するというような態度で行政はしておりませんので、柴田学長のお考え、その他教育的な面のお考え、いろいろあろうと思いますが、これについて直ちにこれをどうであるというようなことは私どもは差し控えなければならぬのじゃなかろうかと思っています。
○中村(梅)国務大臣 私も実情はつまびらかにいたしませんが、どうも聞くところによりますと、学校の規則等を見ましても、柴田学長の大学の経営のやり方は、昔の塾のような行き方をしておるように感ずるわけであります。そこで、問題は学校教育のあり方という点から見て、文部省としてもいろいろ研究すべき点があると思います。
○天城政府委員 いま御指摘の、国士館大学で柴田学長がいわゆる選銀倶楽部というものを設置されたいきさつは、昨年国会でも取り上げられましていろいろ御指摘がございまして、その後事情をいろいろ聞いてみますと、結局これは学校の行事ではない、柴田個人の考えで始めた仕事であるということで、当時学内にこの選銀倶楽部の本部に当たる部屋があったわけでございますので、それも学校の教育と非常にまぎらわしいということで、学外
この柴田学長の教職員に対する人権じゅうりんと暴力行為、たとえば佐藤教授に対する暴力行為、それから給与体系、就業規則は全く皆無、すべて学長の一方的権限でやる。給与体系と関連しておりますが、ボーナスとか家族手当、交通費などは全く皆無なんですね。それからPTA、教職員組合、親睦会など一切の集会・組織は絶対にこれを許されない。
そこでお願いしておきたいのは、国士館大学における柴田学長の実践倫理の教典の中に、「革命はいかにして起るか」という本人の著書がございます。それから「日本はこうすれば立直る」こういう二つの著書があって、これを教典として実践倫理の問題の講義をやっている。もしこれに違反をし、批判的な態度をとると、教授も、あるいは生徒も、退学、停学、あるいは解雇になる。
それで世田谷署は同校教授及びパトカー、警察官から状況を聞いて、柴田学長を検察庁に書類送検した。現在、事件は東京地検の岸野検事の手によって取り調べ中となっているのですが、この事件は、事件が起きてから一年四カ月たっておる。それをまだ、話に聞くところによると、被告を調べていないかもしれぬという。あるいは一回ぐらい調べたかもしれぬが、これはどうなっているのですか。
さらに柴田学長というのは、いろいろ調べてみますと、暴行の常習犯なんですね。昭和三十八年六月十六日、国士館大学と日本体育大学との間に行なわれた水泳対抗競技大会においても同大学水泳部長、体育学部教授三隅一成氏を衆人環視の中でステッキでなぐっておるわけです。こういう事実がある。これは現に教授をやっている本人もはっきりそう言っているのです。うっかり何か言えばすぐ首にしちゃうのです。
○稻村(隆)分科員 柴田学長を取り調べましたか。取り調べておらぬじゃないですか。
国士館大学の問題は大臣は御存じないだろうと思いますので、私申し上げておきたいと思うのですが、国士館大学の学長の柴田学長が教授をステッキでなぐって暴力事件を起こしまして、いまそれについて書類送検されておるわけです。四月十九日です。これが何ら前進を見ない。検察当局にも問題があると思うのです。
これに連鎖いたしまして結局三名の教授が柴田学長から一方的に、学校に出てくる必要がないということを言い渡されているという実態があるわけでございます。これらについては、私学の教育を尊重する意味から申しますと、いま少し積極的に、不当介入をするのではなくて、指導助言、助成をするという意味からも、実態把握を文部省ではしておく必要があるのではないかというように考えるわけであります。
ここで柴田学長が校医をしておるところの佐藤教授をなぐったとかなぐらないとかいう問題で、実は紛争を来たしておるわけでございます。これは教授側の意見を聞きましてもあるいは学校側の意見を聞きましても、意見が相当に食い違ってまいります。
と柴田学長に決議として六月二十七日に出しておる。而も西日本新聞を初め、毎日新聞もこの問題を取上げて、思想弾圧だという立場からこの問題を取上げておるわけです。思想弾圧だという立場からこの問題を取上げておるわけです。若しもこういうことが実際にあつたとするならば、実際にあつたわけでありますが、文部当局としてはこれに対してどういう措置をするのでありますか。
むしろ端的に申しますならば、地方議会の議員のかたたちというものは、端的に申しまして大学教育というものに理解が比較的薄いかたが多いわけで、こういうかたたちに、大学教育というものはどういうものであるということをむしろ十分理解して頂くというようなために、実は帰られましたが、うちの柴田学長のごときもしばしば都会議員のかたたちを御同道願つて、他の国立大学を見学に引張つて歩いているというような状態であつて、十分理解